Albert Fish 〜アルバート・フィッシュ

アルバート・フィッシュ

“I had children in every state.”

「自慢じゃないが、アメリカすべての州の子どもを食べたよ」

  危 険 度  ★★★★★  
知 名 度★★★★☆  
狂 人 度★★★★★  

アルバート・ハミルトン・フィッシュ(Albert Hamilton Fish)

児童を中心に多数の人間を殺害してその肉を食べた、極度のサディストでありマゾヒスト。

誕生:1870年5月19日・アメリカ
犯行:1910年-1934年・アメリカ
死没:1936年1月16日・アメリカ
死因:電気椅子による処刑

犠牲者数:不明(少なくとも15人。自供では400人以上)
異名:Gray Man(グレイマン)、Werewolf of Wysteria(ウィステリアの狼)、Brooklyn Vampire(ブルックリンの吸血鬼)、Moon Maniac(満月の狂人)、Boogey Man(ブギーマン)

生涯

快楽への目覚め

フィッシュは1870年5月19日、アメリカのワシントンD.C.に、4人兄弟の末っ子として生まれます。母親は幻聴・幻視に悩まされ、兄と姉は精神薄弱、叔父は躁鬱と、フィッシュの家族には精神疾患患者が多いという特徴がありました。親族の少なくとも2人が精神病院で死亡しているとの記録もあります。ちなみにフィッシュの父親は当時75歳であり、母親との年齢差は43歳でした。

そしてフィッシュが5歳の頃、フィッシュの父親が心臓発作により亡くなります。それを機に母親は、フィッシュを孤児院に預けました。しかしその孤児院の環境は劣悪で、孤児院では鞭打ちによる指導などの虐待が行われていました。この虐待がフィッシュの幼い心を傷つけたのは確かですが、それ以上に、この鞭打ちこそがフィッシュが初めに覚えた「快楽」となってしまったのです。

孤児院に入れられて5年、母親が公務員の定職に就き、フィッシュは無事、自宅に連れ戻されました。しかし一度目覚めてしまった性癖は強まる一方。フィッシュは12歳の時にとある少年と性的関係になり、サドマゾ嗜好に加えてスカトロ嗜好にも目覚めます。さらにフィッシュは週末になる度に公衆浴場に赴き、少年たちの裸を見て自らの欲を満たしていたのです。

このように、フィッシュは成人する前から異常な性癖を露呈していました。フィッシュは少年期から生涯を通して、新聞広告で結婚相手を募集している女性に対し、わいせつな手紙を送るという行為を繰り返しています。

結婚後も続く異端、そして最初の殺人

1890年、20歳になったフィッシュはニューヨークで暮らし始めます。ニューヨークでのフィッシュの「趣味」は少年を買春し、強姦すること。そんなフィッシュですが28歳の頃には9歳年下の女性と結婚しました。2人の間には6人の子どもが生まれましたが、フィッシュは後に、子どもたちに対しても異常な性癖を顕にします。

結婚と同時期に塗装工として働き始めたフィッシュですが、この間にも6歳に満たないような児童への強姦を繰り返していたそうです。ある日、フィッシュは愛人と共にろう人形の展示を見に行きました。ここでフィッシュは、「陰茎の切断」という極限の痛みに、恍惚とした魅力を覚えます

フィッシュは1903年に窃盗罪の有罪判決を受けた後、1910年にはデラウェア州のウィルミントンで働き始めます。そこで19歳の少年・トーマスと出会い、「あの」痛みへの興味を実行に移します。フィッシュは自身の拷問部屋にトーマスを連れ込むと、2週間以上に渡って拷問し、ついにはトーマスの性器を真っ二つに切り落としました。「その時の彼の悲鳴、そして私を見る目。あれは決して忘れることはない」と、後にフィッシュは語っています。フィッシュはトーマスを殺害し、腐敗臭を隠すため、その遺体に酸をかけてその場を去りました。そのときフィッシュは、10ドル紙幣を遺体の側に残し、遺体にさよならのキスをしたそうです。

離婚を経て過熱する犯行

結婚19年目を迎えた1917年、フィッシュの妻が近所に住む精神薄弱者と恋に落ちたことを機に、2人は離婚しました。こうしてフィッシュは6人の子どもを、たった1人で育てることになったのです。この頃からフィッシュは幻聴に悩み始め、奇行が目立つようになりました。

フィッシュは、自分の「欲求」を自分で満たすようになります。つまり、自傷行為に耽ったのです。フィッシュにとって自傷行為は、もちろん自慰行為そのもの。フィッシュは自分の体に針を刺すという異常な自慰行為を習慣としました。

針を刺す場所は主に性器の周辺。特に陰嚢を貫いたときの痛みは正気でいられないほどだったそうです。フィッシュは他にも、背中や骨盤など、体の至るところに針を刺しています。実際にフィッシュの陰嚢を撮ったレントゲン写真には29本もの針が写りました。さらにフィッシュの興味は針だけには収まりません。オイルをしみこませた綿球を直腸に入れて火をつけ、体を内側から焼く。汚物を食べる。そういった数々の自傷行為を楽しみました。

こんなフィッシュでさえ、爪の裏に針を刺そうとしたときには痛みの余り断念したそうです!

こんな狂気に満ちたフィッシュですが、自分の子どもには肉体的な暴力は振るいませんでした。しかし時折、釘や鋲を打ち込んだ板を子どもたちに手渡してこう伝えます。「この板で私の尻を叩いてくれ。これによって、名状し難い感覚が体を貫くのだ」。このような要求は自分の子どもだけでなく、家に遊びに来た他の子どもに対しても行われました。そして子どもたちが言われた通りにフィッシュを殴ると、フィッシュは喜び、涎を流して射精しました。フィッシュの子どもたちは後に、「オイボレのスカンク野郎」、「奴にしてやれることなど何もない」などと言って、フィッシュを罵っています。

そんな生活を送っていたフィッシュは1919年に、ワシントンD.C.のジョージタウンにて、知的障がいのある少年を刺しています。フィッシュが被害者として選ぶのは精神疾患患者やアフリカ系の人ばかり。卑劣にも、フィッシュは犠牲者を選別していたのです。

神に与えられた使命

さらにフィッシュは、少年たちに金を払って、幼児を「調達」するよう指示していました。そして調達した幼児を拷問・強姦し、殺害するのです。その際に使った肉切り包丁や小さな鋸を、フィッシュは「implements of Hell(地獄の道具)」と呼んでいました。

フィッシュはニューヨークで子どもを殺し続けます。時には失敗しつつも、彼は何人もの子どもを殺したのです。時は1924年、54歳になったフィッシュはすっかり精神を病んでおり、「子どもを拷問しろ。子どもを嬲れ。そう、神が私に命じているのだ」と、心の底から信じるようになっていました。

フィッシュは少年少女を捕らえる際、ボール遊びや昼食に誘うという手段をとります。「私のアパートで一緒にサンドイッチを食べよう」と、そう誘うのです。あるとき、フィッシュの家に誘われた2人の少年がフィッシュのベッドの上で取っ組み合いをして遊んでいると、その下から「地獄の道具」が見えました。彼らは恐ろしくなり、慌ててアパートから逃げるのでした。

フィッシュは1930年2月6日に再婚していますが、たった1週間で離婚します。そして同年5月、女性にわいせつな手紙を送ったことで逮捕され、精神病院に送られました。

犠牲者:グレース・バッドのケース

1928年5月28日、フィッシュは新聞の仕事募集の広告を見て、ニューヨーク州のマンハッタンにある家を訪れました。当時フィッシュは58歳。フランク・ハワードという偽名を名乗っていました。

フィッシュは新聞広告に載っていた18歳の少年、エドワード・バッドを殺害するつもりでした。しかしその家で少年の妹を見つけ、ターゲットを変更するのです。妹の名はグレース・バッド。フィッシュはすぐさま行動に移し、両親からの信用を勝ち取ると、グレースを「姪の誕生パーティーに連れていく」という巧みな嘘で連れ出しました。

その後、グレースは二度と家に帰ってきませんでした。フィッシュはグレースを廃屋に連れ込み、その肉を食べたのです。

少女の両親に送った「狂気」

少女が姿を消してから6年が経った1934年11月、グレースの両親のもとに匿名の手紙が届きました。手紙を受け取ったグレースの母は酷くうろたえ、この手紙を自分で読むことができませんでした。そこで、息子が読み聞かせるよう頼みました。手紙の文章は乱雑としており、誤字や文法違い、創作のストーリーが混ざり込んでいる奇妙なものです。その内容を要約すると、次のような内容になります。

  • 香港では飢餓のときに少年少女の肉が売られる。
  • 尻の肉が一番おいしいらしい。
  • どこかの誰かがニューヨークで7歳と11歳の少年を誘拐し、裸にして戸棚に吊るし、殴打して柔らかくした肉を食べたという。
  • ローストされ、ボイルされ、焼かれ、揚げられ、そして煮込まれる。
  • そんな話を聞いた私は、パーティーを口実に少女を誘拐し、食べてみました。
  • 9日間に分けて味わいました。美味しかったです。あ、レイプはしてませんよ。

警察はこの手紙を調べ、この手紙の後半にある少女はグレースで間違いないだろうと断定しました。

逮捕、そして死刑

グレースの家に突如として送られてきたこの手紙。その手紙が入れられていた封筒がきっかけとなり、フィッシュはついに逮捕されます。逮捕後、フィッシュはグレース・バッドの殺害を否定しようとはせずに、その他の殺人について警察にこのようなことを語っています。

「顔をえぐり取ったり、腹の部分なんかでシチューをつくりましたよ。玉ねぎやニンジン、セロリを入れてね。美味しかったよ」

「肉を2時間じっくり焼くととても美味しいんだ。どんな七面鳥のローストだって、あれの足元にも及ばないね」

法廷にて、精神科医はフィッシュの様々な性的倒錯を指摘しました。サディズム、マゾヒズム、カニバリズム、汚食症、小児性愛などなど、挙げるとキリがないほどの性癖が並んだのです。果たしてフィッシュは精神異常なのか? フィッシュもある意味被害者ではないのか? など、様々な議論が交わされましたが、世論の強い願いにより、ついにフィッシュの死刑が確定したのです。

フィッシュの死刑は1936年1月16日、ニューヨークのオッシニングにある刑務所で行われました。電気椅子での死刑が決まったフィッシュは記者にこう言い残しています。

「わくわくしますよ。電気椅子は、まだ、試したことがありません」

享年65歳。こうして、400人以上もの命を奪った悪魔が息絶えました。

年表

1870/05/190アメリカ・ワシントンD.C.に誕生
18755父が亡くなり、孤児院へ
188010孤児院から自宅に戻る
189020ニューヨークへ引越し
189828結婚し、塗装工に
190333窃盗罪の有罪判決
191040トーマス殺害
191747離婚
1928/05/2858グレース・バッド殺害
1930/02/0659再婚し、2週間後に離婚
1930/0560わいせつな手紙を送り逮捕、入院
1934/1164グレースの家に手紙を送付
1935/03/1164公判にて、精神異常者と認定
1936/01/1665電気椅子による死刑執行

参考サイト

タイトルとURLをコピーしました